黄鮒土鈴(ふくべ洞)


 

昔,宇都宮のある村に,天然痘というとてもこわい病気が大流行しました。
村人は,神様に「病気が治りますように」と一生けん命お祈りをしました。

ある日,村人の一人が,病気の人に食べてもらおうと,田川で魚釣りをしたところ,鯉のように大きくて,黄色い色をした不思議な鮒をつり上げました。
病人がその鮒を食べたところ,病気はあとかたもなく治(なお)り,再びその病気にかかることもありませんでした。

後に村人たちは,このことを神様のおかげと感謝して,病気よけとしてこの黄ぶなの形をした物を毎年新年に神に供えるようになったそうです。

張り子の黄ぶなは,宇都宮市の郷土玩具として,今でも地元の人たちに親しまれています。





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宇都宮市の土鈴製造元「ふくべ洞」にて購入させていただきました。

店内には、土鈴の他にも黄鮒グッツがたくさん並び、元祖ゆるきゃらだな~っと感じました^^




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三鬼尊(栃木市満福寺)の土鈴

画像:赤なのに青鬼?
画像:赤なのに青鬼?

■三鬼尊のいわれ

 

むかし、満福寺のそばに一軒の酒屋があった。

 

ある冬の寒い日の晩。「おおー、寒いー。こんな寒い晩は、早く店じまいすんべ。」と言って、おもて戸をおろして奥の座敷へ行こうとした。その時、ドンドン、ドンドン、と戸をたたく音がして、「酒をくれー」という大きな声も聞こえた。

 

「今じぶんだれだんべ」と言いながら、主人がおもて戸を開けたとたん、冷たい風がサーッと吹き込んできて、目の前に大きな足が見えた。

ずうーっと見上げていくと、見たことも無い大男が立っていた。大男は持っていた徳利を主人の目の前にぬっと突き出すと、「酒をくれー」とまた言った。店の主人は、徳利をおそるおそる受け取ると酒をなみなみとついで、大男に差し出した。大男はひったくるように受け取ると、小銭を置いて、闇の中に消えていった。

 

次の朝、主人が銭箱を見ると、それは木の葉だった。大男は、次の晩も、また次の晩も、酒を買いに来た。不思議に思った酒屋の主人は、その次の晩、大男の後をそっとつけて行った。すると、満福寺のそばの暗がりまで来た時、大男の姿はふっと消えてしまった。次の日、主人は満福寺の和尚の所へ行き、今までのことを話した。和尚は深くうなづくと、主人を本堂へ案内した。寺の本堂には、守り本尊の赤鬼、青鬼、黒鬼の三体の鬼の像がまつられていた。真ん中の青鬼の像の所まで来た時、プンプンと酒のにおいがした。

 

和尚は、「酒を買いに行ったのは、この青鬼じゃな」言うと、青鬼を鎖ぐるぐると縛りつけた。それからというもの、酒屋には二度と大男は酒を買いに来ることはなかった。栃木市にある満福寺の青鬼の像は、今でも鎖が巻きつけてある。

 

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土鈴は、佐野市の相沢民芸店で購入させていただきました。

 

ユーモラスな姿に一目ぼれしたものですが、その云われを調べて納得です。

事実は小説より奇なり? 今は、縛られてしまい大好きなお酒が飲めない青鬼さんですが、お酒欲しさに、こっそり出かける様を上手に表現された作品ですね(^_-)

 

ちなみに、青鬼なのに、赤く彩色されているのは、酔っ払って赤くなっているのを表現しているそうです。風前のともしびの土鈴業界ですが、こんな素敵な作品を地域で発掘できるのも、楽しみの1つです。

 

ただし現地では、すでに販売が終了しているそうです・・・

ご購入をご希望の方は、佐野市の相沢民芸店までお越しください^^

 

 

 

 

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出雲土鈴ハント旅 「日御碕神社 授与鈴」

画像:困り顔?の鬼の鈴
画像:困り顔?の鬼の鈴

■土鈴の由来(授与鈴の説明文より)

出雲日御碕大神宮社記によると、第7代孝霊天皇の御代、日御碕の海上に数十隻の軍船が襲来した。これは神代の昔、新羅国から持ちきた日御碕の地(出雲の風土記にある)を恢復すべく月支国の彦根に王が攻めてきたのである。よって天葺根命(宮司家の祖神)の十一世の孫 明速祇命は必死の勇を奮って防戦につとめられた。この時、スサノオの大神様は天井より大風を発し、神威を振はせられたのでさすがに月支国の軍船も大破沈没し大敗したという。この故事により災害避除悪魔退散の御守りとして【鬼面守】の土鈴を広く流布するものである

 

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おどろおどろしい由緒とは別に、厄除けの鬼の鈴なのに、困り顔?なのがいいギャップです^^

 

出雲にはたくさんの神社がありますが、授与鈴(神社で売っている鈴)が少ないようです。今回、土鈴をハントした日御碕神社は、出雲大社より車で20分。かなり奥まった岬のはずれにある神社です。小さな漁村のなかに、勇壮な社殿をうつしていました。

この神社の祭神は、アマテラスとスサノオ。2礼4拍の参拝方法で知られる出雲形式の参拝でなく、2礼2拍でよいと、神主さんに教えていただきました。

 

出雲にアマテラスをまつる神社があったことが意外です。そして、由緒をしらべると日しずむ場所として、お伊勢さん(陽のぼる場所)さんの対となる神域として、日沈宮がたてられたとあります。これを一般にレイライン(太陽の道)と呼びます。

 

仲の悪い?アマテラスとスサノオの兄弟神が、一緒に奉られているのは珍しいケースです。また元々スサノオをまつった神社に後から、アマテラスさまがいらっしゃった?とも読みとれます。境内の窮屈なレイアウトもあいなり、居候というより、スサノオの祟りを恐れ封じ込めを狙ったような窮屈な関係だと感じました

 

神話の世界は、何かしらの史実とリンクしていると土鈴ハンターは考えています。新羅の軍勢が攻めてきたという故事も含め、謎の多いの日御碕の神域で、鬼面だけが浮世の喧噪を静かに笑っているように感じました。

 

いい土鈴には、いい歴史がある。

出雲にお立ち寄りの際は、ぜひ日御碕をお尋ねください^^

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「土鈴ブログ」~ぼくの細道~

画像:渡る世間は鬼ばかり?
画像:渡る世間は鬼ばかり?

月日は百代の過客にて、行き交う年もまた旅人なり

(「奥の細道」松尾芭蕉)

 

100年という単位を聞くと途方もない時間のようですが、「哲子の部屋」で紹介する土鈴ハント歴は、50年・・・

親子二代に渡る土鈴ハントの歴史は、いつの間にかライフワークになってきました(-_-;)

 

今回、週末を利用して分類できてなかった100余りの作品を写真にとり新たにアップしました。

北海道~沖縄まで、ブログで紹介させていただく作品は、これで300ぐらいになったと思います。まだ、画像化できていないもの、どの産地か分からないものを加えると総数は500ぐらいになりそうです。

 

風土という字は、「風」と「土」と書きます。

「土鈴」は、土の鈴。粘土をこね、型をつくり焼かれて、出荷されます。

そして、「風土」は、自然だけでなく、その土地で生まれ育つ人間のことも指す言葉です。

日本が誇る多種多様な地域の文化や伝承が、同じく豊かな風土で育まれた職人さんの意匠によって、ようやく命が与えられるのです。

 

山ぞいの街では、天狗が題材になり、川ではカッパ。

福島では、「ブヒン様?」っと地域の伝承がデザイン化されてきました。

また神社仏閣にねざした土産物用途の土鈴でも、地域独自の様々な工夫が見て取れます^^

 

景観10年、景色で100年。そして風土は1000年と言われます。

日本全国、どこにいっても同じような街並みが増え、1000年かけて醸成された風土が、たかが10年で壊されそうな時代になってしまいました。

しかし、土鈴は千差万別。地域で売れ残った「土鈴」は最後のフロンティアなのです。

 

大正時代、柳宗悦は、それまで正当に評価されてこなかった焼き物、染物、漆器など庶民が使ってきた雑器の中に美を見出し、民芸運動として活動されました。

無名の職人さんの手による民衆的工芸品がいかに素晴らしいものか?世に問い、今では一般的になった「民芸」の文字も、柳らによる造語であるといわれています。

 

土鈴の中に、21世紀の「民芸」を感じないでしょうか?

 

なんで土鈴を集めるのか?そこに土鈴があるからだ!

だれが決めたわけでもない自分の眼を信じ、2代目土鈴ハンター哲太郎は、土鈴ハントという、「ぼくの細道」をゆっくり歩いていきたいと思います^^

 

 

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土鈴コレクション

はじめに  

「土鈴コレクション」~哲子の部屋~の開設にあたり

 

 

哲子の土鈴コレクションは、哲子20歳。昭和39年 東京オリンピックの年より採集が始まりました。当時は、土産ものの定番として土鈴が置かれていたケースが多く、旅の思い出に1つ、2つっと買い揃えていったという話を聞いています。

 

土鈴採取のルールは2つ

①現地で買う(通販、ネットは使わない)

②友達にもらったものは、ありがたく頂戴する

 

っということで、①で、飽き足らなかった哲子は、大学の同級生が帰省先に帰る際、「地元の土鈴を買ってこい!」っと指令をだし、着実にコレクションを増やしていったそうです^^;

 

ともかくも、はじまった土鈴ハントでしたが、哲子の努力もむなしく時代の変換と共に土鈴を見かける店先もヘリ、現在はハンティングにも苦労するようになりました。

 

収集歴 50年。約半世紀の時間をかけ採取した土鈴は、一時、数千点をこえていましたが、先の東日本大震災では、家屋の被害と共に土鈴の多くを破損し、今に至っています。震災以降、壊れてしまった土鈴コレクションを復活させるために、初代土鈴ハンター哲子に加え、二代目ハンター哲太郎が就任し、全国を旅する中でハントした土鈴をコレクションに加える作業をしています。

 

日本の土鈴の歴史は古く、縄文時代の遺跡からも発掘がされています。これは、邪鬼が鈴の音を嫌うという言い伝えに由来し、今でも、神社で、授与品として土鈴が並んでいるケースが多いのはこのなごりと考えられます。

 

日本に伝わる土鈴の歴史。しかし土産物の多様化?と、よく分からない存在感のためか、今絶滅の危機に瀕しています。

しかし、土鈴には地域独自の工夫があり、干支等、同じモチーフであっても全く違う造形が味わえる楽しさもあります。

 

地域に根付くB級文化を守り伝えるために、この度、ホームページを立ち上げる他、採集の際の情報をアップすることで、全国の数名の土鈴ファンとネットワークを構築し、さらに土鈴文化の絶滅阻止のため1つの多くの土鈴をコレクションに加えていくことを宣言し、挨拶と代えさせていただきます。

 

(2代目 土鈴ハンター 哲太郎 筆)