月日は百代の過客にて、行き交う年もまた旅人なり
(「奥の細道」松尾芭蕉)
100年という単位を聞くと途方もない時間のようですが、「哲子の部屋」で紹介する土鈴ハント歴は、50年・・・
親子二代に渡る土鈴ハントの歴史は、いつの間にかライフワークになってきました(-_-;)
今回、週末を利用して分類できてなかった100余りの作品を写真にとり新たにアップしました。
北海道~沖縄まで、ブログで紹介させていただく作品は、これで300ぐらいになったと思います。まだ、画像化できていないもの、どの産地か分からないものを加えると総数は500ぐらいになりそうです。
風土という字は、「風」と「土」と書きます。
「土鈴」は、土の鈴。粘土をこね、型をつくり焼かれて、出荷されます。
そして、「風土」は、自然だけでなく、その土地で生まれ育つ人間のことも指す言葉です。
日本が誇る多種多様な地域の文化や伝承が、同じく豊かな風土で育まれた職人さんの意匠によって、ようやく命が与えられるのです。
山ぞいの街では、天狗が題材になり、川ではカッパ。
福島では、「ブヒン様?」っと地域の伝承がデザイン化されてきました。
また神社仏閣にねざした土産物用途の土鈴でも、地域独自の様々な工夫が見て取れます^^
景観10年、景色で100年。そして風土は1000年と言われます。
日本全国、どこにいっても同じような街並みが増え、1000年かけて醸成された風土が、たかが10年で壊されそうな時代になってしまいました。
しかし、土鈴は千差万別。地域で売れ残った「土鈴」は最後のフロンティアなのです。
大正時代、柳宗悦は、それまで正当に評価されてこなかった焼き物、染物、漆器など庶民が使ってきた雑器の中に美を見出し、民芸運動として活動されました。
無名の職人さんの手による民衆的工芸品がいかに素晴らしいものか?世に問い、今では一般的になった「民芸」の文字も、柳らによる造語であるといわれています。
土鈴の中に、21世紀の「民芸」を感じないでしょうか?
なんで土鈴を集めるのか?そこに土鈴があるからだ!
だれが決めたわけでもない自分の眼を信じ、2代目土鈴ハンター哲太郎は、土鈴ハントという、「ぼくの細道」をゆっくり歩いていきたいと思います^^
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